日本における刺絡鍼法の歴史的背景について

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 刺絡の歴史 『霊樞・九鍼十二原篇』に「およそ鍼を用いる者は、虚するときはこれを実し、満するときはこれを泄し、宛(鬱)陳するときはこれを除き、邪勝つときはこれを虚しくせよ」と記されている。 鍼灸の治療原則はこの四つが基本になっていることを示している。この中の「宛陳(ウッチン)するときはこれを除け」というのは、古くなって滞っているものがあれば、これは必ず取り除かなければならないと言う意味で、「刺絡鍼法」である。つまり、刺絡鍼法は古くから鍼灸の重要な手技の一つであった。

 古代から近年の抗生物質の開発実用化に至るまでの長い間、急性熱性疾患などに施術され多くの患者治療に貢献してきた。 薬物治療が発達した現代においても薬物治療以上に効果を上げたり薬物投与できない患者さんも多くありその役割は終わっていない。 また、慢性疾患に対する効果も見逃せないものがあり期待が高まっているのが現状である。 しかしながら刺絡鍼法は毫鍼を用いる鍼法とは違った歴史的背景がありその歴史を述べたい。

 明治政府は政治的背景から所謂西洋医学(ドイツ医学)を日本の医療の中心位おいた。 そのため鍼灸医療は漢方などとともにその根拠が失われた時機がある。 鍼灸施術を対象とした法律は「鍼術灸術営業差許方(明治18年3月)」が施行され次いで明治44年制定内務省令 「鍼術、灸術営業取締規則」が制定された。 その第7条に「 鍼術又は灸術営業者は瀉血、切開その他外科手術を行い、若しくは電気、烙鉄の類を用い又は薬品を投与し若しくは之か指示を為すことを得す」という条文があり、刺絡鍼方は気血の流行を調節するもので瀉血とは異なると言う主張も取り上げられず刺絡鍼方が行政から禁止される時期があった。

 しかし、昭和22年制定された「あん摩、はり、きゆう、柔道整復等営業法」現行法の基礎となるものであるが禁止事項から瀉血が削除された。 比較してみると 旧条文 鍼術又は灸術営業者は瀉血、切開その他外科手術を行い、若しくは電気、烙鉄の類を用い又は薬品を投与し若しくは之か指示を為すことを得す 新条文施術者は、外科手術を行い、又は薬品を投与し、若しくはその指示をする等の行為をしてはならない 新条文からは瀉血の文字が削除されている。 これにより刺絡鍼法が鍼の手技として認められているのは明らかになった。 しかし、明治44年制定内務省令 「鍼術、灸術営業取締規則」が改正されたことがよく認知されず、また外科手術の範疇にはいるのではないかとの疑問から長い間鍼灸師養成施設の教育カリキュラムからはずされていた時期があった。現在でもそのような認識の方がいらっしゃるのは非常に残念なことであります。

 中世から近代まで西洋で広く用いられた瀉血療法は余った血液や所謂悪い血液を静脈などから大量に放出する治療行為で血液を体外の出す事が目的で医師が行うべきものであります。 一方刺絡鍼法は東洋医学の理論に基づき生命の根元である「気」と「血」を動かすため皮膚を三稜鍼にて刺鍼するもので小量の出血を伴うが血液の放出を目的とした瀉血とは異なるものである。また、外科手術は観血的操作を身体に加えるがその基本は切開、止血、及び縫合であり目的、手段とも全く異なるものである。観血的という部分をとらえて外科手術と主張する方々がおられるが刺絡鍼法とは違うことは明確である。 誤った認識で基優れた鍼の手技であり民族の遺産である刺絡鍼方が消滅の危機にあったことから1990年日本刺絡学会が設立された。

 日本刺絡学会は刺絡鍼方の普及と発展により国民医療に貢献するためマニュアルの作製や、刺絡鍼法認定制度、基礎講習会などを開催している。 2005年6月本会中川節先生の依頼により参議院議員谷弘幸さんが改めて内閣総理大臣(小泉純一郎)に刺絡鍼方について質問をしたところ「刺絡鍼法は法律に定められた鍼の手技含まれる」と回答された。

 2009年4月森ノ宮医療大学(鍼灸学科)で刺絡鍼法の講座が開設された。 このように刺絡鍼法は鍼の手技の一部でありながら教育や医療現場から葬り去られる危機あった。毫鍼などの歴史とは異なった部分がありその特徴的なところのみ紹介した。


文責 安雲 和四郎


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